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子連れ家族が幸せに見えないのはトラウマか

夫婦・家族とは

幸せそうな夫婦探し

小さい子ども連れの家族を見かけると、かわいいお子さんよりも、つい、そのお子さんを連れている夫婦の方に目が行ってしまう。

家族でお出かけしていて、親子として見ると楽しそうなんだけど、家族みんなが楽しそうかというとそういう風には見えなくて。

お父さんとお子さんはキャッキャしていて、後ろから暗い顔してベビーカー引くお母さんがいたり、

お母さんとお子さんはべったりで、お父さんは存在感なさげに後ろをついて歩いていたり、

家族全員、つまんなそうで、お父さんもお母さんも無言でスマホ見ながら歩いている家族がいたり。

電車の中でも、ひたすらスマホをいじっているお父さんと、離れて座って小さな子二人をあやし続ける大変そうなお母さんがいたり…。

子どもと一緒にいて、楽しそうにしている夫婦なんて見たことない気がする。

私はいつも子どもを連れていて、楽しそうな、幸せそうな夫婦を探している。

夫婦の正解を知りたい気持ちがあるから。

小さな子どもを守るのは親の役目だし、子どもにかかりきりになってしまうのも仕方がない。

大人である夫婦二人がニコニコ話している暇なんかないのかもしれない。

でも、なんだか自分の中で納得いかなくて。

私は、小さな子どものいる家族を、単純にほほえましく見ることが出来ない。

子育て観のズレ

小さな子どもを見ると、自分の子どもが同じくらいだった頃のことが自然と思い出される。

とてもかわいかったな…という愛おしい気持ちと、どんより重苦しい気持ちが必ずペアで思い出される。

きっと子どもは100%かわいくて愛しい存在で、それ以外の何ものでもなかったはずだと思う。

それに対する私の気持ちに汚いものがあって、そのこじれた感情や母親である以前の私個人の欲が子どもを理解不可能な生き物にしていた気がする。

単純に子どもをありのままで受け止めてあげることが私はできなかった。

どうしたら自分の思うように子どもを動かすことが出来るのか…それは躾という言葉になるのかもしれないけど、どうして思うようにならないのか、毎日どんな時も苦悩していた。

だんなさんは、純粋な心の持ち主だから、子どもをありのままに受け入れることが簡単なように見えた。

私にはだんなさんの問題解決の仕方は、問題の本質を後回しにしているようなその場しのぎのズルいやり方に見えたけど、子育てなんて、深く考えないでやるものなのかもしれないと、自分がいちいち深く考えてしまうことを恥じたりした。

いちいち子どもへの対応がこの先の成長にどう影響するのか、悩む必要なんかなくて、とにかく平和に寝て起きてを繰り返すことが私も出来たら、どんなに楽だっただろう。

なんでも小難しく考える自分のことを、子育てのセンスがないな、と思った。

もともと子どもはあまり好きでなかったし、もちろん自分の子どもは最高に愛おしかったけど、でもやっぱり私、子どもはダメなんだな、とも思った。

そんな私の子育てへの葛藤は、だんなさんに伝わらなかった。

だんなさんは私の苦悩を感じるためのアンテナを、全く持っていなかった。

どんなに子育ての悩みを発信しても、だんなさんは受け取ることをしてくれなかった。深刻なものだとも感じることが出来ないようだった。

ひとり悩む私と、子育てに悩む感覚がわからない、といった単純思考のだんなさん。

私はだんだんとだんなさんに気持ちを伝えることをやめてしまった。

受け取ってもらえない感覚が辛かった。

そして自分を責めた。

清らかな子ども目線のあっけらかんとしたいちいち悩んだりしないだんなさんのことを、すごいな、羨ましいな、と思って尊敬して、自分が情けなくて情けなくて、生きている意味なんてあるんだろうか、ほんとそんなことばかり考える日々だった。

だんなさんが毎日たくさん子どもと接してくれたら、こんなに子どもがぐずり続ける必要もないだろうし、子どもが壁に頭を打ち付けたりもしないだろうな。

夜泣きもせずに一晩ぐっすり眠ってくれるのかもしれないな。

生活リズムのしっかりしただんなさんなら、コーヒー飲んで静かにゆっくり過ごしたいと思う怠け者の私より、子どものしつけもきっちりできるだろうな。

子どもたちは二人とも夜泣きが5歳までひどく、私は下の子の夜泣きが収まるまでの7年間、一度も起こされることなく一晩中眠り続けることができなかった。

なんで毎日起きて泣くのかわからなかった。その度に起きて抱っこして寝かしつけて。

だれにも妨害されずに一晩ゆっくり眠ることに憧れたけど、育児や家事も完璧で、稼いでもきてくれる旦那さんを思うと、このくらいは私がやるのが当然と思った。

弱音を吐いたところで、だんなさんは私が毎晩の夜泣きに疲弊していることを理解し、労ってくれる感じはなかった。

私にとっては大変に感じる毎晩の夜泣きを、そもそもだんなさんは大変なことと認識していないから。

ひどい夜泣きでない限り、だんなさんは夜泣きを把握してくれなかった。いくら訴えても、自分の身に降りかかっていないことにはとても疎い人。

寝てしまったら、滅多なことでは起きないし。

だんなさんにとって、睡眠は生活の中の最重要項目で、毎晩21時に必ず寝るし、休日は必ずお昼寝もする。会社でも昼休みに15分寝ているそうだ。それを崩すことはない。

たまーに、ひどい夜泣きで、困り果て、夜中にテレビをつけてあやしていたときくらいはさすがに気付いて様子を見に来てくれたりしたけど。どうしたの?と。

お父さんが現れると子どもは喜ぶ。ご機嫌になる。ぐずって泣いたりなんかしない。(ますます寝なくなる…。)

だんなさんは、子どもに笑いかける。「夜中なのに楽しそうだね」と。

いいな、だんなさんは。顔を見せるだけで子どもが笑顔になってくれて。

子どもは私のことが嫌いなのかな、私って無力だな。

寝てくれなくて辛いのに、だれも分かってくれない。

こんなことを辛いと感じる私って情けないな。

気持ちが沈むのを感じた。

明日突然消えたらいいのに

だんなさんはご機嫌なこどもの姿しか知らない。

子どもの大変な部分が見えないようだった。

羨ましかった。ズルいと思った。

子どもに対して「どうして?」とも思った。

どうして私の前でだけ、あなたはこんなに手がかかるの?

どこかに連れて行けば、困った子どもの面をあやすのは私の仕事。子どもがぐずるのを見て、放っておくことなんて私はできない。

でもだんなさんは放置する。それでなにが悪いの?といった感じ。

私は神経質で、周囲の目が気になって自分の保身に走るひどい母親のようだった。

なんだろう、このズレは。とずっと思っていた。

生まれながらに子育てセンスのある偉大なだんなさん。

子どもを産んでも母親になりきれない、神経質なわたし。

子どもにとって、どちらがいいか、そりゃあだんなさんに育ててもらう方がいいに決まっている。のびのびとしたいい子に育つに違いない。

子どもたちは私と一緒にいたら、きっと神経質で不安定な人間に育ってしまうだろう。

それがとても怖くて、子どもが幼い頃は、本当に悩んだ。

死ぬのは怖かったし、子どもたちを悲しませるのは嫌だった。

だから、突然自分が消えてしまえばいいのに、と毎日思った。

朝起きたら、私なんか消えてなくなってしまえば、全てがうまくいくのではないかと本気で思っていた。

きっと誰も困らない。

どうしてここにいるのか、自分で自分がわからなくなっていた。

トラウマなのかな

冷静に考えて、自分、まずいな、と思った。鬱の知識はあったから。

理性をどうにか働かせて心療内科に通ったり、働いたり、自分の存在意義を取り戻そうと頑張った。

ひとり、必死にもがいていたと思う。

コーチング講座に参加して、自分を見つめ直した経験はとても意味があった。あれから少しずつ、私は自分が何者なのか見えるようになってきたから。
子どもたちのことも、ひとりの意思ある人間として、受け入れられるようになってきたし。

気持ちが安定してきたのは、上の子が8歳、下の子が6歳の頃だったと思う。単に手のかからない年齢になったのかな。

幼児のかわいらしさはなくなったけど、子どもたちのことは今でもとても愛おしくて大好きだし、頼もしい存在に成長してくれているけどね。

ただ、子どもたちのかわいらしいピークは、私の暗いどんよりとした気持ちと共に過ぎ去ったことは事実。

だからかな。

かわいらしい小さなお子さん連れの家族を見ると、心がざわざわするのは。

よちよちニコニコして、なんてかわいいんだろう!と見ていると、自分の子どもたちのかわいかった頃が自然と思い出される…もれなく一緒に暗ーい気持ちも覆いかぶさってくる。

反射的に私はお父さんお母さんの顔を見てしまう。

暗い顔をして、ベビーカーを引いているお母さん。

スマホばかりを見て、ずんずん前を歩くお父さん。

心が締め付けられる。あの頃の自分を思い出す。

そんな自分がとても嫌い。

小さなかわいいお子さんを見て、単純にかわいいな、と思いたい。温かい気持ちになりたい。

一生無理かな、と思う。

過去は変わらない

子育ての苦悩を一緒に共感してくれるだんなさんがいたら、違っていたのかな。

せめてセックスで私を必要としてくれれば、状況は違っていたのかな。

だんなさんが悪いのだろうか。

だんなさんを憎めばいいのだろうか。

私には、だんなさんを責めることは、やっぱりできない。

もう過ぎてしまったことだから。

憎んでも責めても、過去はなにも変わらない。

ひとり勝手に心の中にしこりを残したまま、先だけを見て生きていかなきゃと思う。

私には、私の存在を認めて、欲してくれる彼がいる。

これから先も、一緒に寄り添って生きてくれる彼がいる。

彼は、出会い系で知り合ったただの他人。なんの縛りもないただの他人。

でも、彼がいるから前を見ることができる。

他人だし、法を犯しているけれど、私にとってとても大切な人に違いはない。

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