セックスレスの夫婦なんて、世の中いっぱいいると思うんだけど、私みたいに思い詰めてしまう人は少ないのかな。
思い詰めた結果、わたしはだんなさん以外の人との不倫に移行した。
短絡的に、セックスレスだから不倫しようと思ったわけではないよ。
完全セックスレスの期間が10年以上と長かったので、いろんなことがあったし、いろんな努力もしたんだよ。
セックスレスと性欲から解放されたい
まずは、セックスしたい気持ちがおかしいんだと思った。
私の性欲が強過ぎるんだ、他の夫婦やカップルだって、セックスなんてしなくても普通に過ごしていられるのに、私の性欲がおかしいんだと思った。
(今は自分の性欲が強すぎたなんて、全く思わない。当時は自分がおかしいと思っていた。)
だから、性欲を、そのパワーを、他へ向けけようと頑張った。
忙しい毎日を送っていれば、セックスのことや、夫婦関係のことや、孤独感から逃れられるのでは、と思ったのだ。
考えてしまう時間があるから悶々と悩んでしまうんだ。
私はセックスのことなんか考える暇がないくらい、自分を忙しさで追い詰めようと思った。
外に出る。働く。
まだ子どもたちに手がかかる時期は、積極的に外へ出た。
セックスレスを意識する暇もないくらい、自分のことも、子どもたちも、疲れさせることが大切と思って。
ママ友もたくさんいたし、地域の乳幼児イベントに参加したり、いくらでも予定を埋めることはできた。
家族で旅行に行きたかったので、 少しでも時間があれば、 在宅でできる仕事をして資金作りもしてみたり。
下の子が幼稚園に入ったタイミングで、パートに応募し、外で働き始めた。
家事に仕事に追われていれば、余計なことも考えなくて済む。
それに、社会に出れば、わたしなんかも必要とされるのかもしれない…と淡い期待を抱いて、少人数の会社の事務員として働き始めた。
暇すぎて、あんまり必要とはされてなかったみたいだけど 笑。ほんとこれは失敗だった…。
心療内科に通う
消えてなくなりたい
うちの長男は、特に難しい気質の持ち主だったので、子育てはとても大変だった。
もともと、そんなに子どもが欲しかったわけでない私にとって、イメージとは違う子育てに、だいぶストレスを感じていた。
うちの子どもは、ちょっと周りと違う雰囲気の子で、一筋縄にはいかなかった。
産んだからって、すぐに立派な母親になれるわけではないのだけど、それなりにできる人もいるし…。
どうすればいい母親になれるのか、うまく子どもを扱えるのか、できない自分を責めたし、とても悩んだ。苦しかった。
子育ての苦労をなかなかだんなさんに理解してもらえず、夫婦関係は悪化していった。
だんなさんには私の辛さが響かない。共感が得られない。孤独だった。
私は情緒不安定に。
朝起きたら、自分なんか消えてなくなっていればいいのに。
毎日そう思った。
心療内科を受診
私が子育てで悩む中、追い打ちをかけるように、今度は子どもたちに問題行動が出始めた。
頭を壁に打ち付けたり、自分で自分を殴ったり、自傷行為をするように。
幼児なのに自分を卑下するような発言も気になった。私と同じように「どうせ僕なんか」と頻繁に言う。
娘はかわいいお喋り盛りなのに、吃音(どもり)が始まった。
ショックだった。
夫婦関係の悪化と、私の情緒不安定のせいだと思った。
今、私が変わらないと、このままになってしまう。どうにかしなくては、と思った。
自分自身がおかしいことに気づいていたので、わたしは心療内科を受診した。
鬱一歩手前だった。
だんなさんは「どうして心療内科になんて行く必要あるの?」と言われた。とにかく、どうしたの?とびっくりしていた。
本当にひとりぼっちだったな 笑。
だんなさんは、子どもや家事に興味があっても、私には興味がないから、私の様子がおかしいことにも気づいてなかった。
やっぱりね。だからセックスレスもこんなに長引いているんだ。
私の気持ちに寄り添うことができない人。
心療内科では、セックスレスになんて触れなかった。
とにかく、子どもとの関係を改善したかったから、セックスレスは関係ないと思っていた。
だんなさんは子育てや家事に協力的だったし、だんなさんに非はないと思いたかった。
追記:2021年にこのサイトの読者様より、だんなさんはアスペルガー症候群では?と助言いただき、気持ちがとても軽くなりました。もっと早く気付くべきでした。
半年くらい通ったかな。
息子もたまにカウンセリングしてもらったりして。
よくなっている気もしたけど、根本的には何も変わってないような気もした。
でも、だれかに助けを求めることが出来て、少し気持ちは軽くなった。
服薬
心療内科からは、たくさんの薬が処方された。
興奮を鎮める薬が中心だった。
薬を飲むと、貧血気味になるようで、ふらふらした。
子どもをママチャリ前後に乗せたまま倒れそうになったり、顔が真っ青になり冷汗が出て周りの人に助けてもらったり、普段の生活に支障が出始めた。
体重も増えた。
子どもに落ち着いて接することができたのは、薬のおかげなのか、薬を飲んでいる安心感からなのか、自分が成長したのか。イライラするのは薬を飲むタイミングが悪かったからなのか。
なんだかもう、薬に支配され、自分でもわけがわからなくなっていた。
だからといって、急に薬を止めると大変なことになる、と医者からは脅かされていたので、このまま私はどうなってしまうのだろうと不安に感じていた。
ある信頼している人から、「心療内科は薬漬けにされてカモにされるだけだよ」と聞き、確かにそうかもしれない…と思うように。
心療内科の先生に「もう大丈夫」と言ってみても、「あなたは全然大丈夫じゃないよ」と毎週たくさんの薬を処方される。
先生の言葉に救われることもあったけど、このままじゃうまく行かない気がして、心療内科に行くのはやめた。
勝手に少しずつ薬を減らした。
コーチングとの出会い
いろいろ調べて、コーチングに興味を持った。
ちょっと遠かったけど、3ヶ月位のコーチング講座に参加することにした。
そこで学んだのが、自分自身を見失わないことの大切さだった。
消えてなくなってしまいたいくらい追い詰められていた私は、自分を取り戻すためにできることを考えるようになった。
これって誰の人生なんだろう?
子どもに捧げる人生なのかな?そうするべきと勝手に思い込んでいる自分が、自分を追い詰めていることにだんだんと気づいてきた。
コーチングのトレーニングのお陰で、母子関係は改善され、子どもたちは目に見えてイキイキしはじめていた。問題行動もなくなった。本当にうれしかった。
自分が変化することで、子どもたちも変わっていった。
私自身、生きることが苦痛でなくなってきた。
親のメンタルって大切だよね。やはり、子どもに大きな影響を及ぼす。
コーチングで気づいたことは、今、W不倫を選んだ生き方にも大いに関係していると思う。
コーチングの先生も、まさか自分の教えがW不倫につながるとは思ってもいないと思うけど…。
趣味を復活させる
コーチングを学んでみて、私は趣味を復活させることにした。
母親になって封印していた、自分の好きなこと、やりたかったことにチャレンジしてみるのは、自分を見失わないために大切なこと。
ただ、お金がかかる趣味だったので、家計に負担をかけたくないし…で、際どい小遣い稼ぎをしてみたりも…一ヶ月しか続かなかったけど。笑
「ネットでお金を稼ぐ」という基盤はこのころに出来上がった。今もあの時努力した自分を褒めてあげたいくらいとても頑張っていたと思う。
資金作りもまぁまぁ成功したし、経済的に後ろめたい気持ちを持たずに、趣味を復活させることができた。
楽しい気持ちを保てるようになったし、家族で楽しめることも増えた。(家族というか子どもたちと…か。)
趣味に没頭することで、性欲に思考がこだわらなくなった。
そりゃあセックスしたいと思うことはたまにはあったけど、私にはこの楽しみがある、と思えば、なんとか我慢できたし、諦めもついた。
自分を取り戻すことはできたけど
セックスレスを発端に、子育てに悩みつつ、いろいろ動いた結果、結婚して子どもを産んでから自分自身を封じ込めて生きてきたことに気づけたのは収穫だった。
もっと自分らしく生きてよかったのに、妻や母親になったからと、妙なストッパーを自分にかけてしまっていた。それを解放したら、なんて楽なんだろう!と思った。
誰に見張られているわけじゃないのに、何にそんなに追い詰められていたのだろう?と思えるようになった。
お陰で、いろんなことが軌道に乗り始めた。
子育ても、問題がありつつも冷静に対処できるようになったし、仕事や趣味もそれなりに忙しく充実していた。
セックスレスや性欲が頭を占領することはなくなった。
しかし、順調だった生活も、1,2年経つ頃には、また同じ悩みが復活してきた。
性欲と孤独感。
どうしてだろう。
少しゆとりができると、急に性欲にとらわれる時間が出てくる。
39歳だったからかな…。
よく、40代になると女性は性欲が一番強くなると言うし…。40代のママ友から、そんな話も聞いていたからかな…。
夫婦関係という根本が解決できていないからなのだろうか。
再び、同じことに悶々とする時間が増えていった。