子どもの成長は早いですね
子どもの受験や卒業、入学手続き等々で忙しく、しばらくサイトを更新することが出来ませんでした。
なにかあった?ついにバレたのか?と思われた方もいたかもしれませんが、私達は大丈夫 笑。関係は順調です。
受験・入学手続き・卒業…と、スケジュールがタイトな上、仕事も繁忙期なので、とても忙しかった…。この週末、ようやく落ち着きました。
彼と出会った頃は、まだ小学生だった子どもたちも、ずいぶん大きくなりました。
私の子どもたちが大きくなったのだから、当然彼のお子さんも成長しており、もう成人しちゃったりしています。
月日が流れるのは早いです。
想像以上に、子どもたちが親から離れていくのは早いです。
近い将来、完全に独り立ちしていくんだな、と、この春の節目にしみじみ感じています。
「子どもがいるのに」「子どもがいるから」そんな言葉に惑わされず、あの時行動しておいてよかったな、と今でも思っています。
子どもたちが自立することは喜ばしいことですが、残る家族は夫だけになるからね。。
彼に支えてもらった子どもの受験
子どもの進学のことで、W不倫中の彼にはとてもお世話になりました。
彼はもう、お子さん二人も成人している子育ての大先輩。
進学の情報もたくさん持っているし、なんなら、進学した後、その先まで見据えてアドバイスしてくれます。
塾に通わせず、ママ友付き合いもうざい私としては、彼のおかげでたくさんの情報を得ることができ、子どもにアドバイスしてあげることが出来ました。
実は、子どもが行けない日は、学校見学も彼が付き合ってくれました。(そしてその学校に進学することになった笑)
本当だったら夫婦で行くのでしょうけど・・・信じられないことに、うちのだんなさんは、冗談でしょ?と思うくらい子どもの進学に無関心でした。。
アスペルガー気質ゆえのことだと思います。
こちらが働きかけてあげなくては、興味がないので、調べようともしないのです。
入試制度から、どんな学校があるのか、学校見学や説明会、国や自治体からの補助金、子どもの成績はどういう状況なのか…などなど、こちらから丁寧に一から説明しないと知ろうとしない相手なのです。
父親なのに、子どもの成績も受験日も知らないなんて、笑い話みたいですが、ほんとの話なんですよ。。
受験に向け頑張っているのに、父親が自分の進学について無関心なことに落胆させないよう、フォローするのも気を遣いました。。
自分の子どものことなのに、どうして関心がないのか?
もし、アスペルガーだと気づいていなければ、理解者であるW不倫中の彼がいたとしても、悲しくてイライラして悲惨な一年だったと思います。
でも今は「アスペルガー気味な人だから、仕方ないんだな」と割り切れて、子どもと母親二人三脚で受験に向け頑張ることが出来ました。
学校情報調べたり、夜中にチケット争奪戦並みの学校説明会の予約取ったり、子どもの相談に乗ったり励ましたり…。私も初めての経験だったので、悩みや迷いもあったけど、そばで支えてくれた彼がいたから、そこまでストレス抱えたり、ヒステリックになることなく、乗り越えることが出来ました。
私と一緒になって、子どもの努力や意思を尊重して見守ったり、一緒に悩んで作戦を練ったり…、そして進学を喜んでくれた彼にはとても感謝しています。
それでも家族にしかできないこと
自分の子でもないのに、こんなに寄り添って私の子どもを応援してくれていた彼ですが、それでも彼とは分かち合えないことがあることに私は気付いてしまいました。
私、自分の子どもの進学をとてもとても褒めてあげたいし、誇りに思っています。
でも、その正直な想いを、どうしても彼の前では出せませんでした。
手放しで褒めてあげたい気分なんだけど、どうしても彼の前ではその喜びをトーンダウンさせてしまう自分がいるんです。
彼にとって、私の子は、所詮他人。
会ったことも、話したこともない人物。この先も関わることはないでしょう。
彼にとって私の子は、どうでもいい存在なのでは?とシンプルに思ってしまうのです。
きっと彼はそんな風に思っていないと思います。でも、ふつうに考えたら、彼にも家庭がありお子さんがいて、私の子なんかより、ずっとずっと大切な存在に違いありません。
そう思うと、彼の前で、自分の子どもに対する親バカとも言える反応を、素直に出すことを躊躇してしまうのです。
彼とお付き合いしている中で、同じように彼のお子さんも受験を乗り越えていた時期がありました。
彼のクソ妻は世間知らずの夢の国の住人なので、彼がお子さんたちと進学の相談やアドバイスしていることは知っていて、よくその話も聞いていました。
私は子どもの受験未経験だったので「ふーん」という立ち位置でしか話を聞けなかったけど、やっぱり彼のお子さん(他人)とはいえ、進学が決まった時は心からよかったね!がんばっていたもんね!と思いました。
彼は父親だからかな。そんなに進学に興奮している様子もなかったし、静かに落ち着いて喜んでいる感じでした。
ほんとだったら、自分の子どもの成長や進学は、夫婦で喜ぶものなのかな。
自分たちの子ども、よくやったね!!って、手を取って素直に喜び合う…。
今日はご馳走だー!!って、お祝いしたい気持ちを爆発させることのできる場所って、やっぱり家庭だけなのでは、と気付いたのです。
こんなにこんなに彼に支えてもらったのに、喜びを分かち合うことを遠慮している自分がいて、あぁ、これが家庭あるもの同士の関係なんだな、と、複雑な心境になりました。
本当だったら、彼と一緒に子どもをお祝いしたいのに、そんなの非現実的でバカげた話。子どもにとっても迷惑だろうし。
一緒に喜び合うことができないんだ、と気付いたら、なんだか彼との関係が、ちょっぴり悲しくなりました。
ずっと受験の迷いや悩みを見守ってくれていた彼のことを、子ども本人はもちろん知らずにいるし、お礼を言うこともないでしょう。(当たり前中の当り前)
そっか、私達はそういう関係なんだな。
いくら一番の理解者であっても、家族という存在には敵わないんだな、と思ってしまいました。
わたし、子どものこと、とても愛しているんですよね。
とてもとても大切。
無条件に、子どもが喜べば私も喜ぶし、子どもが悲しめば私も悲しい。
子どもに対する想いって、なかなかW不倫相手や婚外パートナーには共感を要求できない気がします。
どうしてもそれは遠慮してしまう。そんなことまで共感してもらうのは、図々しいと思ってしまう。
子どもに対する想いばかりは、自分の中で昇華させないといけないんだな、と今回痛感しました。
…ちょっぴり悲しい気付きでした。
コメント
こんばんは。
同じ様なシュチュエーションがあったなと共感して読みました。
それでも家族にしかできないこと、不倫相手には共感を求められないこと。
家族という強さを改めて思います。
好きでも嫌いでも多くの時間を費やし、子供を育て上げるというのは家族は強力ですよね。
自分は子供を安全に育てあげる仕組みとして、婚姻はあると思っています。
これからも、子供を第一として行動していきたいと思います。
ゆうさん
なんだかとても難しいです。
私はまだゆうさんのように、結婚や婚姻と言われるものがどうあるべきものなのか、何を意味するものなのか、
明確な答えを見つけられないでいます。
結果論ですが、子どもたちに出会えたことは感謝しているけど…。
とりあえず、結婚したくない人や子ども産みたくない人が増えるのは当然だよな、とは思ってますw